実は夜にこそ映える、石垣が美しい大阪の観光名所『大阪城』へ潜入調査!
大阪を代表する観光スポットである『大阪城』へ、夜8時頃にやってきました!
何故、昼間に訪れずに夜にやってきたかというと、2点の理由があります。
~理由その1~ 昼間は観光客が多いから!!
近年、大阪観光に訪れた方なら分かると思いますが、今の大阪は世界中から多くの観光客が訪れており、観光名所と言われる場所は何処もかしこも人・人・人の凄まじい混み具合になっております。 これを具体的に数字で示すと、2009年頃には年間170万人程だった観光客が2017年には驚愕の1,111万人と、たった8年で6.5倍の観光客が訪れる一大観光都市となってしまっているという事です。 つまり、今大阪城に昼間にと訪れても、疲れるばかりで、ろくに見学が出来ないという次第です。
~理由その2~ ライトアップされているから!!
是非とも大阪城に訪れた時に見て頂きたいのは、天守よりも石垣です。 大阪城の石垣は昼間の明るい時間でも見応えがありますが、夜にライトアップされている時に観ると、石が立体的に見え凄く迫力があります。 その姿は、まさしく本来の目的である要塞と言える威容を誇ります! 城内に訪れる事が目的では無いなら、夜の大阪城こそおススメです! ちなみに、日没から23時までライトアップされています。
▼石垣
大阪城に訪れると真っ先に天守に向かわずに、是非とも石垣を様々な角度で観てほしいです! ライトアップされた石垣は、すごく迫力があります!
筆者の私は、大阪出身ですので見慣れた大阪城ですが、夜に改めてお堀を観ると非常に深く、石垣が本当に美しく見えました。
昼間に訪れると日本人よりも中国からの観光客が多く、日本語よりも中国語をよく聞きますが、8時頃になると観光客もすっかり帰ってしまい、静かに観光する事が出来ます。
▼大手門口
大阪城は、夜でも中に入る事が出来ます。 写真は、大阪城の正門である大手門から城内へと続く道です。
▼多聞櫓
大手門を抜けるとカタカナのロの字の形をした『多聞櫓』が有ります。 この「多門櫓」の渡櫓内部には4つの部屋が造られており、最も大きい部屋は70畳あります。 また、続櫓内部には合計6つの部屋があり、これらの部屋には沢山の兵や武器を配置し、防御が行えるように造られております。
▼蛸石
「多門櫓」を進むと正面の石垣に『蛸石』と呼ばれる巨石が使われております。
この巨石は重量108t、表面積が36畳もある物です。
ダンプカー等が無い時代によくぞ運んだと感心してしまう、この石は、徳川幕府による大阪城再築工事において、備前岡山藩の担当として、香川県・小豆島から運ばれたそうです。
つまり、人力しか無い時代に、こんな巨石が船に載せられて運ばれてきたという事です。
普段何気なく見ている石垣ですが、よくよく見て調べてみると、実は凄いものだったりします!
▼大阪城天守
A君「さて問題です!大阪城を建てたのは誰でしょうか?」
B君「豊臣秀吉!!」
A君「ぶーっ!大工さんでしたー」
という面白くないナゾナゾを聞いたことが有る人もいるのじゃないでしょうか?(私の地元だけ??)
大阪城を最初に造ったのは「豊臣秀吉」であると言う事は誰でも知っておりますが、豊臣時代から徳川時代へと変わった「大阪夏の陣」で、豊臣秀吉が造った「豊臣大阪城」は失われております。
次に、徳川の時代となり豊臣政権を否定する為に豊臣色を払拭し建てられた「徳川大阪城」が建てられましたが、徳川時代中盤に入る前に落雷により失われてしまいます。
そして、現在観られる大阪城天守は、「昭和復興大阪城」と言われ、初層から4層までは徳川時代を再現した白漆喰壁とされておりますが、5層目は豊臣時代の城を再現し、黒漆に金箔で絵が描かれるという折衷案となっております。 ちなみに、石垣や城門等は徳川時代のものが残されたり、再現されております。 この天守は、コンクリート造りで実際に中に入るとエレベーターが付いていたりと、趣もクソも無い様な城ですが、外観は美しい白が印象的なライトアップで映える城です。
▼旧第四師団司令部
大阪城内には、「旧第四師団司令部」が置かれた旧庁舎が残されております。 今は、レストラン等が入居する「ミライザ大阪城」という商業ビルとっておりますが、第二次大戦も乗り越えた戦前からある古い建造物ですので、一見の価値が有ります!
▼大阪城 豊國神社
ここ「大阪城」には、「豊臣秀吉」と、秀吉の息子の「豊臣秀頼」、秀吉の弟で、豊臣政権の名宰相と云われた「豊臣秀長」を御祭神とする『豊國神社』が有ります。
夜に訪れると人気のない寂しげな境内には、該当に照らされた「秀吉」像が不気味に立っております。
この神社は、秀吉に縁ある大阪城にある神社ですので、古くから在りそうですが前述の通り、豊臣政権を滅ぼした徳川によって、大阪城からは豊臣色が一掃されており、建てられたのは徳川の時代が終わった明治時代となってからです。
当社の歴史を観てみると、明治元年に明治天皇が大阪へ行幸された際に、国の為に多くの功労を行った「豊臣秀吉」を大阪の地に祀る様にと指示をし、明治6年に京都に本社が造営され、明治13年に別社として大阪の中ノ島に造られた事に始まります。
この別社は、造られてから2度移転しており、一度目が大正元年に移転し、二度目の昭和36年に現在の地へ奉遷してきております。 なので社殿もコンクリート造りの非常に新しいものとなります。
こちらの神社は、一農民から(諸説あり)関白まで登り詰めた「秀吉公」にあやかり、出世・開運を祈願する事が出来る場所として知られております。 なので、私も当サイトのアクセス数アップを祈願しました!
▼さいごに
以上で、夜の『大阪城』の御案内となります。 昼間のごった返す時間ではなく、のんびりと見学が出来る夜に迫力ある「大阪城」を観にきては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
住所:大阪市中央区大阪城1-1
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